『源流テンカラ釣りの知恵 渓の翁、瀬畑雄三の遺言。』浦壮一郎著
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“日光テンカラの系譜”p193〜
現在のテンカラベーシックを完成させ世に広めた第一人者である石垣尚男さんは、自身のテンカラ遅アワセは瀬畑雄三さんとの出会いが原点であると雑誌のインタビューで答えられています。
では、瀬畑雄三さんの遅アワセはいったいどのように始まったのでしょうか。こちらの本にその時のエピソードが書かれています。
-以下引用-
「(始めてから)2シーズン目の終わりごろだったかな。その時の魚は今でも覚えている。初めて作った自作ライン、その1投目が飛ばなかったんだよ。すごく手前に着水しちゃった。これじゃあダメだと思って打ち返そうとした時、ヤマメが毛バリを食ったんだ。そん時はオレも驚いちゃって合わせられなかったんだ。ラインもたるんでたしね。そしてピックアップしようとサオを上げたら魚が掛かってる。この時、アレッ、もしかしたらって思ったんだよ」
瀬畑雄三さんの日光テンカラは1961年に田中順太郎さんに出会ってからといわれているので、このエピソードは62、63年頃のことでしょうか。最初はなかなか思うように釣れなかったと後に語られていることから、師匠である田中順太郎さんから聞いて習ったテンカラは早アワセ釣法だったのかもしれません。田中順太郎さんの師匠である籠作さんの釣りからはやはり早アワセ釣法が見えてきますし、毛鉤釣り(テンカラ)といえば早アワセと当たり前のようにいわれていた時代でもありました。
瀬畑雄三さんのテンカラ遅アワセ釣法は、試行錯誤のなかで釣れた一匹のヤマメとその経験から得た「閃き」によるものでした。その閃きから24年後の1986年に石垣尚男さんに出会うことになります。その時のテンカラを取り巻く環境はまだまだ早アワセが主流でした。
テンカラオフシーズンの旅はつづきます。
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