『別冊フィッシング第63号・テンカラ倶楽部3/廣済堂出版2000年3月1日』より
週末天気が悪いのでいろいろとテンカラ本を読み返していたらふと目に止まったのが林田秀樹さんのインターラインテンカラの記事。
僕が中通し竿を使った毛鉤釣りを初めて見たのが1993年頃のことで小学4年だったと記憶している。
その日は台風が過ぎた後の蒸し暑い日で、増水しているだろうけどダメ元でと言いながら父と近場の川へ様子を見に行った。
場所は埼玉秩父の定峰川で、定峰峠を上がってゆく途中のヘアピンカーブ右手にあった釣り堀がまだ営業していたようないなかったような、、その辺はうろ覚えだ。
増水笹濁りの川で遡行も危険そうだしということで半ば諦めムードで川沿いを走っていると、道路脇のガードレール越しに竿を出している釣り人を見つけた。
車を路肩に停めて様子を見に行き父が「こんにちは出ましたか?」と声をかけた。
因みにこの時すでにその釣り人の竿が普通の渓流竿ではなくリールが付いた長竿であったことは見えていて、ずいぶんと頓珍漢な釣り師が居たものだと僕はたかを括って父の背中越しから様子を伺った。
小学に上がった頃から一丁前にヤマメを釣っていた僕は引っ込み思案ではあったが釣りの話になると少し自慢げで生意気な子供だったに違いない。
父が声をかけた後どんな話だったか僕は忘れてしまったが、その釣り師が見せてくれた魚籠の中には立派な良型ヤマメが何匹も入っていたことを覚えている。
僕は目を疑った。一日やって7寸が混じれば間々立派と思っていたマイホームリバー定峰でこんなにも良型ばかりを揃える釣りは少しも想像に無かった。
僕は半信半疑のまま仕掛けはどんなものかと思い釣り糸の先に目をやると、そこにはガン玉と黒い毛鉤がぶら下がっていた。なんと自分と同じ毛鉤釣りだったのである。
この増水では無理だと諦めた矢先の出来事。その時の僕は正直に言って悔しい気持ちで一杯になっていた。
今になって思えば何もおかしなことではなく、状況に的確にアプローチしてストライクをつくりだした手練れの釣りであったと理解できるのだが、当時の僕はあんな釣り方は毛鉤のテンカラではないのだと如何にも子供っぽいことを思った気がする。
これが僕が中通し竿をはじめて見た時のエピソード。次に中通し竿を目撃するのはそれから10年くらい後の2002年頃のことで場所は日光今市の早春の里川。それもまた衝撃的な釣りであった。
テンカラオフシーズンの旅はつづきます。
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